自分のダメなところを受け入れるには。短所を責めずに見直す考え方

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「自分のダメなところを受け入れたい」と思っても、そう簡単にはできないものです。
頭では、誰にでも短所はあると分かっているのに、自分のことになると厳しくなってしまう。少し失敗しただけで「やっぱり自分はダメだ」と感じたり、誰かの何気ない言葉をきっかけに、気にしていた部分が急に重たくなったりすることもあるのではないでしょうか。

たとえば、繊細すぎる、気にしすぎる、人に合わせすぎる、ネガティブに考えてしまう。そうしたところを直そうとしてきたのに、なかなか変わらない。変えられない自分を見るたびに、また苦しくなる。
つらいのは、短所があることそのものより、その短所を持つ自分まで否定してしまうことなのかもしれません。

けれど、そうやって悩んできたのは、これまで自分なりにちゃんと向き合おうとしてきたからでもあります。困らないように、嫌われないように、できるだけうまく生きようとしてきたからこそ、気になる部分を放っておけなかったのだと思います。

ぽとり

ずっと気になってるってことは、それだけ雑に生きてこなかったってことでもあるよ

この記事では、自分のダメなところを無理に好きになろうとするのではなく、少し違う角度から見直していく考え方を整理していきます。
なぜ自分の短所ばかりが苦しく感じられるのか。そうした面をどう受け止めればよいのか。読み進める中で、今までとは少し違う見方ができるようになるはずです。

自分のダメなところを受け入れるとは、欠点をなくすことではなく、その見え方をひとつ増やしていくことなのかもしれません。

自分のダメなところを受け入れられないのはなぜつらいのか

自分のダメなところが気になるとき、多くの人は「この性格を直さなければ」「もっとちゃんとしなければ」と考えます。
もちろん、自分の課題に気づくこと自体は悪いことではありません。
けれど、その気づきがいつの間にか自分を責める材料になってしまうと、苦しさはどんどん深くなっていきます。

たとえば、「私は繊細すぎる」「人に合わせすぎる」「すぐ落ち込む」と感じたとします。
すると、その特徴だけでなく、「そんな自分はよくない」「だからうまくいかないんだ」と、自分全体まで否定したくなることがあります。
つらさを大きくしているのは、短所そのものより、その短所を持つ自分を強く責め続けることです。

ダメな部分そのものより「そんな自分はダメだ」と責めることが苦しさを深くする

短所が気になるとき、実際にはその性格だけに傷ついているわけではありません。

  • また気にしてしまった
  • また言えなかった
  • また落ち込んでしまった

そんな出来事のたびに、自分の中で自分への評価が下がっていく。その積み重ねが、苦しさを大きくしていきます。

しかも、自分に厳しい人ほど、「このくらい乗り越えられない自分が悪い」と考えやすいものです。
周りに迷惑をかけたくない、ちゃんとやりたい、うまく生きたい。そう思ってきた人ほど、できなかったときに自分を許しにくくなります。

ぽとり

短所が痛いというより、そのたびに自分で追い打ちをかけてしまうのがしんどいんだよね

短所をひとつの見方だけで決めつけると、自分全体まで否定しやすくなる

もうひとつつらいのは、自分の性格をひとつの言葉で固定してしまいやすいことです。
たとえば「気にしすぎる」と思った瞬間、その性格の中にある別の面は見えにくくなります。
「人に合わせすぎる」と感じると、その背景にある思いやりや気づかいまで、一緒に見失ってしまうことがあります。

性格には、ひとつの名前だけでは言い切れない幅があります。
それなのに、苦しいときほど人は、自分の特徴をいちばんつらい言葉でまとめてしまいがちです。
すると、「この部分が嫌だ」が、いつの間にか「自分そのものが嫌だ」に広がってしまいます。

自分のダメなところを受け入れられないのは、弱いからではありません。
それだけ長いあいだ、自分の欠点を気にしながら、うまく生きようとしてきたからです。
まずは、苦しさの正体が「短所の存在」だけではなく、短所をひとつの見方で決めつけ、自分全体にまで広げてしまうことにあると知ることが大切です。

自分のダメなところを受け入れるとは、甘やかすことではない

自分のダメなところを受け入れると聞くと、「それでは成長できなくなるのではないか」「ただ開き直るだけになってしまうのではないか」と不安になることがあります。
特に、自分に厳しくしてきた人ほど、受け入れることにどこか怖さを感じやすいものです。
責めるのをやめたら、もっとだらしなくなる気がする。直そうとしなくなったら、今より悪くなる気がする。そんなふうに感じることもあるのではないでしょうか。

けれど、自分のダメなところを受け入れることは、欠点を放置することでも、無理に肯定することでもありません。
まず必要なのは、自分の嫌な面を「敵」として扱い続けないことです。
そこを誤解したままだと、受け入れるという言葉そのものが苦しくなってしまいます。

自己受容は「短所をなくすこと」でも「開き直ること」でもない

受け入れるとは、「このままで何も変えなくていい」と言い切ることではありません。
また、「自分の短所も大好きです」と無理に思い込むことでもありません。

そうではなく、今ある性格や反応を、いったん事実として見ることです。
たとえば、「私は人の反応に敏感になりやすい」「断るのが苦手」「一度気になると引きずりやすい」。そうした特徴を、善悪の判定を急がずに見つめることが、受け入れることの出発点になります。

自分を見つめる前に、すぐ評価を下してしまうと、理解より先に否定が始まります。
すると、本当は何に困っていて、どこにしんどさがあるのかも見えにくくなります。
受け入れるというのは、変化をあきらめることではなく、変化の前にまず自分の状態を正確に見ることなのです。

ぽとり

受け入れるって、白旗をふることじゃないよ。まず地図を見るみたいなことだと思う

まず必要なのは、嫌な面を敵にしないこと

自分の短所がつらいとき、人はその性格をなくそうとしがちです。
けれど、強く消そうとするほど、その部分ばかりが気になってしまうことがあります。
たとえば「もう気にしないようにしよう」と思うほど、かえって気になってしまうことは少なくありません。

それは、自分の中の一部分を無理に切り離そうとしているからです。
もともとその性格は、自分を困らせる面だけでできているわけではありません。
けれど、「こんなところはなくなればいい」と敵のように扱っている間は、その性格が持っている別の意味や役割が見えなくなります。

ここで大切なのは、短所を美化することではなく、「嫌な面にも何かしらの背景や働きがあるかもしれない」と考えられる余地を持つことです。
自分のダメなところを受け入れる第一歩は、短所を正当化することではなく、決めつけて切り捨てないことです。
そうすると、責めるしかなかった見方に、少しずつ別の角度が入ってきます。

ぽとり

敵だと思っているあいだは、その性格の説明書を読む前に破いてるようなものかもしれないね

短所は、見ている角度が違うだけで別の意味を持つ

自分のダメなところを受け入れにくい理由のひとつは、その性格をいつも同じ方向から見てしまうことです。
苦しい出来事が重なると、人は自分の特徴に対して、いちばんつらい名前をつけやすくなります。
すると、その性格が持っている別の働きや、別の場面での価値が見えなくなってしまいます。

けれど、性格はひとつの言葉だけで決まるものではありません。
同じ特徴でも、置かれる場面や関わる相手が変われば、見え方はかなり変わります。
短所とは、その人の本質そのものではなく、ある角度から見たときについた名前にすぎないことがあります。

「繊細」「人に合わせる」「泣きやすい」は、本当に悪いことだけなのか

たとえば、「繊細すぎる」と感じている人は、ちょっとした空気の変化にも気づきやすいかもしれません。
そのせいで疲れやすくなることはあっても、別の見方をすれば、相手の気持ちや周囲の違和感を丁寧に受け取れる人でもあります。
実際に、「気がつくね」「丁寧だね」と言われた経験がある人もいるのではないでしょうか。

「人に合わせすぎる」と感じる人も同じです。
自分の気持ちを後回しにしてしまうつらさはありますが、その背景には、相手を困らせたくない気持ちや、場を乱したくない配慮があることも多いです。
それは見方を変えれば、いたわりや献身性とも言えます。

また、「泣きやすい」ことを弱さのように感じている人もいるかもしれません。
けれどそれは、感情が鈍くなっていないということでもあります。
うれしいことにも悲しいことにも心が動く。そうした反応は、感情に素直でいられる力の表れでもあります。

ぽとり

同じ性格でも、しんどい場面でついた名前と、誰かに助かった場面でついた名前は、けっこう違ったりするんだよね

性格はコインの表裏のように、よい面と苦しい面をあわせ持っている

どんな性格にも、楽な面と苦しい面があります。
ひとつの特徴が、ある場面では自分を守り、別の場面では自分を苦しめることもあります。
だからこそ、性格を「よい」「悪い」で切り分けすぎると、現実に合わなくなってしまいます。

たとえば、ネガティブに考えやすい人は、物事の悪い可能性ばかり見てしまって苦しくなることがあります。
ただその一方で、先のことを慎重に考えられる、安易に見過ごさない、人の痛みに気づきやすいという面につながっていることもあります。
つらさしかないように見えていた性格が、実は別の場面では感受性や理解力として働いていた、ということは少なくありません。

ここで大切なのは、「だから短所なんてない」と言いたいわけではないということです。
困る面は、たしかにあるはずです。
しんどい思いをしてきたことも、消してよいものではありません。
ただ、その性格を苦しさだけで説明しきらないことはできます。

短所を受け入れるとは、無理に長所だと言い張ることではなく、その性格に苦しい面と別の面の両方があると知ることです。
そうすると、自分の見え方は少しずつ変わっていきます。

「それが自分にとってよかったことは?」と問い直してみる

短所には別の面があると言われても、すぐには納得できないことがあります。
それだけ長いあいだ、その性格に困ってきたからです。
頭では「見方を変えればいい」と分かっても、実感がついてこないことは少なくありません。

そんなときに役立つのが、「それが自分にとってよかったことは?」と問い直してみることです。
これは、無理に前向きになるための言葉ではありません。
自分の短所を美化するためのものでもありません。
今まで「困ること」としてしか見ていなかった性格に、別の意味がなかったかを確かめるための問いです。

短所を否定する代わりに、役立っていた場面を探す

たとえば、「人の顔色をうかがってしまう自分が嫌だ」と感じているとします。
その性格のせいで疲れた経験は、たしかにあるはずです。
けれど同時に、その敏感さがあったからこそ、相手の変化に早く気づけたことや場の空気を荒らさずに済んだこともあったかもしれません。

「すぐ落ち込む自分が嫌だ」と思う人も、その落ち込みやすさのせいで苦しくなってきたはずです。
ただ、そのぶん自分の言動を振り返る力が育っていたり、同じように落ち込んでいる人の気持ちを雑に扱わずにいられたりすることもあります。

ここで見たいのは、「この性格があるから素晴らしい」と言い切ることではありません。
そうではなく、その性格は本当に困ることしか運んでこなかったのかを、丁寧に見直すことです。
ひとつでも「この面があったから助かったことがある」と思えたら、短所の見え方は少し変わり始めます。

ぽとり

短所の反対側を探すというより、その性格が働いてた場面を見つけにいく感じだね

自分へのメリットと、周囲へのよい影響の両方を見てみる

考えるときは、「自分にとってよかったこと」と「周りにとってよかったこと」を分けてみると見つけやすくなります。

たとえば、

繊細さは、自分にとっては物事を丁寧に進める力になっていたかもしれません。
周りにとっては、細かな変化に気づいてもらえる安心感につながっていたかもしれません。

人に合わせやすい性格も、自分にとっては衝突を避ける知恵として働いていた場面があったかもしれません。
周りにとっては、一緒にいて圧が少ない、話しやすい、と感じられていた可能性もあります。

ネガティブに考えやすいことも、自分にとっては準備を丁寧にする力や、見落としを減らす慎重さにつながっていたかもしれません。
周りにとっては、軽く扱わずに真剣に考えてくれる人として受け取られていたこともあるでしょう。

もちろん、その性格のせいで苦しくなった経験まで、無理に「よかったこと」に変える必要はありません。
ただ、困る面しかないと思っていた特徴にも、別の働きがあったと気づけると、自分への見方は少しやわらぎます。

自分のダメなところを受け入れるために必要なのは、短所を消すことではなく、その性格が持っていた意味を見つけ直すことです。
「それが自分にとってよかったことは?」という問いは、そのための入口になります。

自分のダメなところを受け入れるための見直し方

ここまで、自分の短所は一方向から見た名前にすぎないことがある、という話をしてきました。
ただ、考え方としては分かっても、実際に自分へ当てはめようとすると難しく感じることがあります。
特に、長く気にしてきた部分ほど、すぐには見方が変わりません。

そこでここでは、自分のダメなところを受け入れるための見直し方をできるだけシンプルに整理します。
大切なのは自分の性格を無理に好きになることではなく、困る面だけで決めつけず、これからどう付き合うかを考えられる状態に近づくことです。

まずは、嫌いな自分の特徴をひとつだけ言葉にする

最初にすることは、気になっている自分の特徴を、ひとつだけ言葉にすることです。
ここで大事なのは、まとめて全部を変えようとしないことです。「繊細すぎる」「人に合わせすぎる」「引きずりやすい」など、今いちばん苦しく感じているものをひとつ選びます。

複数の悩みをいっぺんに扱おうとすると、どこから苦しいのかが見えにくくなります。
また、「性格がダメ」「全部ダメ」のように大きくまとめてしまうと、見直しようがなくなってしまいます。
できるだけ具体的に、今の自分がどこで引っかかっているのかを言葉にすることが出発点です。

ぽとり

大きなかたまりのままだと重たいから、まずは一個だけ机に置いて見る感じでいいよ

その特徴で困る場面と、助かった場面を並べてみる

次に、その特徴について、困る場面と助かった場面の両方を書き出してみます。
ここでは、よい面だけを探そうとしなくて大丈夫です。
むしろ先に「何がしんどいのか」をはっきりさせたほうが、無理のない整理になります。

たとえば「繊細すぎる」なら、

  • 人の機嫌に引っぱられて疲れやすい
  • 小さな失敗を何度も思い返してしまう

といった困る面があるかもしれません。

一方で、

  • ミスに早く気づける
  • 相手の変化に気づきやすい
  • 雑に扱わず、丁寧に進められる

といった助かった面もあるかもしれません。

このとき大切なのは、助かった場面を立派な長所として飾らないことです。
少しでも「そういえば、こういう働き方をしていたかもしれない」と思えるものがあれば十分です。
困る面があることと、価値がないことは同じではありません。
この二つを分けて考えられるようになると、自分への見方がかなり変わってきます。

ぽとり

しんどい記録だけだと、その性格が悪役で終わっちゃうんだよね。出演シーンを全部見る感じ

最後に「これからどう付き合うか」を決める

最後に考えたいのは、その性格を消せるかどうかではなく、これからどう付き合っていくかです。
自分の特徴には、苦しい面もあれば、役立ってきた面もあります。
だとしたら必要なのは、全部なくすことではなく、苦しさが強く出る場面でどう扱うかを知ることです。

たとえば、繊細さがあるなら、刺激の強い場面で消耗しやすい自分を前提に予定を組むほうが現実的かもしれません。
人に合わせやすいなら、大事な場面ほど「本当はどうしたいか」を一度確認する習慣が助けになることもあります。
ネガティブに考えやすいなら、その慎重さを準備に活かしつつ、想像だけで自分を追い詰めていないかを見直すことが必要になることもあります。

ここでの目的は、性格を矯正することではありません。
その特徴を敵にしたまま消そうとするのではなく、性質として理解し、扱い方を考えることです。
そうすると、自分のダメなところは「なくすべきもの」から、「付き合い方を知っていくもの」へと少しずつ変わっていきます。

それでも自分のダメなところを受け入れられないときは

ここまで読んでも、「頭では分かるけれど、やっぱり自分のダメなところが嫌だ」と感じることはあると思います。
それはおかしなことではありません。
むしろ、長いあいだ気にしてきた部分ほど、そんなに簡単には見え方が変わらないものです。

短所の別の面を探してみても、すぐに納得できるとは限りません。
「そうは言っても、実際に困ってきたし」と思うのも自然な反応です。
苦しかった経験があるのに、急にやさしい見方へ切り替えるほうが難しいでしょう。
だから、受け入れられない自分を見て、さらに落ち込む必要はありません。

すぐに好きになれなくても、受け入れられていなくても大丈夫

自分のダメなところを受け入れることは、「もう気にならない状態」になることではありません。
また、「この短所も大切です」とすぐに思えるようになることでもありません。

実際には、気になる日もあれば、前より少し冷静に見られる日もあるはずです。
昨日より少しやわらかく考えられたと思ったのに、今日はまた強く嫌になる。そうした揺れは珍しいことではありません。

大切なのは、受け入れられているかどうかを完璧に判定しないことです。
少しでも「この性格には苦しい面だけではないのかもしれない」と思えたなら、それは見方が動き始めているサインです。
受け入れることは、きれいに割り切ることではなく、自分への見方が少しずつ増えていく過程なのだと思います。

ぽとり

昨日は少しやさしく見られたのに、今日はまた嫌だなって日もあるよね。天気みたいなものかもしれない

見方が変わるまで時間がかかるのは自然なこと

自分の短所に厳しくなってしまう人は、それだけ長く自分を点検しながら生きてきたことが多いものです。

  • うまくやろうとしてきた
  • 迷惑をかけないようにしてきた
  • 傷つかないように、傷つけないように、気を張ってきた

だからこそ、気になる部分をすぐにゆるめられなくても不思議ではありません。

しかも、短所の見え方は、言葉だけで一気に変わるものではありません。
「この面にも意味があるのかもしれない」と何度か思い返したり、これまでの出来事を少し違う角度から見直したりするなかで、少しずつ変わっていくことがあります。

もし今、まだ受け入れられないと感じていても、それは失敗ではありません。
ただ、今までずっと「悪いもの」として見てきた部分を、すぐに別の角度から見るのが難しいだけです。
無理に結論を急がず、「この性格は困る面だけでできているわけではないのかもしれない」と思える余地を残しておくことが大切です。

ぽとり

長く敵だと思ってきた相手を、すぐ友だちとは呼べないよね。まずは顔をしかめず見られるだけでも十分だよ

最後に|自分のダメなところを受け入れる第一歩は、見方をひとつ増やすこと

自分のダメなところを受け入れることは、欠点をなくすことでも、無理に好きになることでもありません。
これまで見てきたように、苦しくなりやすいのは短所があることそのものより、その短所を持つ自分を強く責めてしまうときです。
そして、ひとつの見方だけで性格を決めつけてしまうと、自分の中にある別の面が見えにくくなります。

だからこそ大切なのは、今までの見方を否定することではなく、そこにもうひとつの見方を加えることです。
「繊細すぎる」「人に合わせすぎる」「ネガティブすぎる」と感じてきた性格にも、困る面だけでは説明しきれない働きがあるかもしれません。
実際に、その性質があったから気づけたこと、守れたこと、誰かの役に立てたこともあったのではないでしょうか。

自分のダメなところを受け入れる第一歩は、短所を否定しきることでも肯定しきることでもなく、その性格をひとつの名前だけで終わらせないことです。
それだけでも、自分との関係は少し変わり始めます。

短所を消すことより、別の面に気づくことが自己受容の入口になる

短所をどうにかしようとするとき、人は「直す」ことばかり考えがちです。
もちろん、困る場面を減らしたいと思うのは自然なことです。
ただ、自分の性格を敵のように扱いながら変えようとすると、苦しさばかりが残ることがあります。

その点、別の面に気づくことは、自分を甘やかすことではありません。
苦しい面を認めたうえで、それでもなお、その性格にはほかの働きもあるのではないかと見直していくことです。
すると、今まで「なくしたいもの」だった特徴が、「付き合い方を知っていくもの」へ少しずつ変わっていきます。

これは、大きく前向きになろうとする話ではありません。
ただ、自分を決めつける視線を少しゆるめることで、見えるものが増えていく、という話です。その変化は派手ではなくても、自分のしんどさを和らげる土台になります。

ぽとり

性格をまるごと交換するのは難しいけど、見方の窓をひとつ増やすことなら、わりと現実的なんだよね

「短所が自分にとってよかったことは?」と問いかけてみる

もしこれから、自分のダメなところが気になったときは、すぐに否定へ進む前に、ひとつだけ立ち止まってみてください。
そして、こう問いかけてみるのです。

「この短所が、自分にとってよかったことは何だろう」

すぐに答えが出なくてもかまいません。
最初は、そんなものは何もないと思う日もあるでしょう。それでも、その問いを持っているだけで、自分を責めるしかなかった見方に、少しずつ余白が生まれます。

短所は、悪や敵ではありません。
苦しい面はあっても、その反対側には、まだ気づいていない自分のよい面が隠れていることがあります。
そのことを忘れずにいられたら、自分のダメなところは、ただ嫌うしかないものではなくなっていくはずです。

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